4月第4週 元祖『春の小川』をたどる 〜代々木から浜松町
埼玉県小川町に通勤していた頃、のどかな『春の小川』の歌にいかにもふさわしい町だと思っていた。でもその曲のイメージのもととなった川は実は都内にあると知って、そんなものかと意外だった。
文部省唱歌として作られたのは1912年で、作詞者、高野辰之(1876-1947)が住んでいた代々木付近を流れていた河骨川(こうほねがわ)がモデルだという。
コウホネは沼地に生える草で、水中から1本の花柄がスッと地上に伸びて、小さな球のような黄色い花をのせている。
花柄1本に1花だけ。
僕は山歩きにいった先で一度見たことがあるきり。どこだったか不確かになってしまったが、人が暮らしているところからは遠かった。
都内で自然の様子が変わることに、ふつう、そう驚きはないのだが、僕にはコウホネはとても珍しい花のように思えていたから、都心近くでそんな花が咲いていたのか、ということでも意外な感じが大きかった。
で、行ってみることにした。
行く前にわかったのは、およそこんなこと。
・河骨川は暗渠になっていて水の流れは見えないが、代々木に『春の小川』の記念碑がある。
・渋谷駅付近で流れが地上にでて、渋谷川に名をかえる。
・港区の天現寺橋からは古川となり、浜崎橋の先で東京湾に流れこむ。
■ 『春の小川』歌碑
東京都渋谷区代々木5-65 小田急線線路脇
NPO法人 渋谷川ルネッサンス
小田急線の代々木八幡駅を降り、北に、参宮橋駅方向に歩いていく。
川は暗渠になって水の流れは直接には見えないが、元の流路跡の道に建つ電柱には「春の小川 この通り」と案内がでている。家並みのあいだの細い道が、いかにも元は自然な水の流れがあったことを感じさせるゆったりとした曲線をえがいている。
線路の脇に歌碑があった。
川は地下に隠されてしまったが、電柱に表示し、歌碑を建て、かつての流れの記憶を残そうと活動されている人たちがいる。
| 春の小川はさらさら流る。 岸のすみれやれんげの花に、 にほひめでたく、色うつくしく 咲けよ咲けよと、ささやく如く。 碑には1番の歌詞が刻まれている。口語体にあらためられた時期もあって僕が記憶しているのとは違うが、これがオリジナル。 |
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代々木公園を横切って原宿駅に向かった。メガホンの声がきこえ、旗を持った人たちのグループが次々に現れるのは、メーデーの集まりに代々木公園に向かう人たちだった。
■ 渋谷駅から赤羽橋
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原宿駅から山手線に乗って渋谷駅で降りた。 東口を出て歩道橋に上がると、ビルの谷間に渋谷川の細い水路が見えた。 歩道橋を降りて小さな橋まで歩いていく。 橋の下から流れが地表にでてくるところなのだが、水はほとんど流れていなくて部分的に濡れている程度。 |
その水たまりのへりに猫がいた。両岸のコンクリートは滑らかでかなりの高さがあるが、猫ならあれくらい上がってしまえるのだろうか。 両側にビルが並んでいて、裏側だから美しくない−と思ったのだが、表側を歩いてみてもゴチャゴチャしていて乱雑なばかりだった。 |
■ 三康図書館
東京都港区芝公園4-7-4 明照会館1F tel.03-3431-6073
http://www.f2.dion.ne.jp/~sanko/
| 古川と名をかえている川から、赤羽橋でそれて寄り道した。 4月に図書館に転勤して日本の図書館の通史を読んでいたら、ごく早い時期の私立図書館に大橋図書館があり、経営の変遷はあったが、今も三康図書館として公開しているとあった。 どちらの名前も初耳で、古川から近いので寄り道した。 増上寺の裏側、東京タワーに面する側に図書館はあった。 |
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大橋図書館は出版社の博文館の創業者大橋佐平が設立を発案し、財団法人の図書館として1902年に開館した。
利用者に好評で、東京として最初の公立図書館である東京市立日比谷図書館が1908年に開館するきっかけとなった。
戦後の1953年に大橋図書館は解散し、蔵書を西武鉄道の創設者、堤康次郎が引き継いだ。(当初は豊島園に図書館を設立する予定だったという。遊園地のなかの図書館が実現していたら、それもおもしろかったと思う。)
その後、増上寺も協力することとなり、仏教文化の研究を主目的とする財団法人三康文化研究所附属三康図書館と改称し、今ある形では1966年から一般公開が始まっている。
名前は三縁山増上寺の「三」と、堤康次郎の「康」をとっている。
僕がぜひこの図書館に寄ってみたいと考えた理由はもう1つあって、沿革をみていて初代館長石黒忠悳という名前におやと思うところがあったからだった。(1902年から1917年まで在職)
僕はしばらく前から詩人、尾崎喜八(1892-1974)にひかれて、尾崎に関する集まりに参加し、娘の栄子さんの北鎌倉の住まいにもいくどか伺っている。
尾崎喜八の生涯を記した重本恵津子さんの本を読んでいて、しばしば石黒忠篤という名前が現れることが記憶にあった。
高級官僚だった石黒忠篤は自然を愛する人で、霧ヶ峰の「山の会」で尾崎喜八に出会い、魅了され、石黒の三男と尾崎の娘、栄子さんが結婚することとなった。
尾崎喜八の、都内青山や長野県富士見の住まいを世話してもいる。
「石黒忠悳」と「石黒忠篤」という文字の類似は、無関係ではありえないだろう。
三康図書館の司書の方に、尾崎喜八の縁で初代館長のことを知りたいと相談した。話しているうちに必要なものの判断はできてしまったようで、うなずいていったん書庫に姿を消して、まもなく、
・ 『復刻版・大橋図書館四十年史』 博文館新社 2006
・ 『石黒忠篤懐旧九十年』 石黒忠篤 博文館 1936
という2冊をだしてきていただいた。
後者に1884年(明治17年)に、長男忠篤生まれるということが記されている。
忠悳は1941年に亡くなり、石黒光三と尾崎栄子が結婚したのが1944年だから、忠悳の文章に尾崎のことはでてこないが、忠篤に関して書かれている経歴的ことがらからして、大橋図書館初代館長の子息が尾崎喜八と親しい関係にあったのは確かなことだ。
前者によれば、忠悳が亡くなったあとには、忠篤も大橋図書館の理事に就任している。
このつながり自体には、「初期の図書館」と「尾崎喜八」という、たまたま僕が関心をもった2つのことにちょっとした関連があったという以上の意味はない。
でも僕にとっては、近ごろひんぱんに思いがけないことにつながりがあったということが起きるものだから、またこういうところにも!という感慨があった。
■ 赤羽橋から浜崎橋
| 古川は高架を走る首都高速にほとんどおおわれていて、水面が暗い。 水も濁っていて、川の水で手をすすぐどころか、この水に触れたらほかで手を洗わなくてはだろう。 川に沿ってオフィスやマンションがあるが、川辺に暮らす心地よさはとくにないだろうと思う。 |
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芝園橋あたりから下流には、釣り客を乗せる船が並んでいて、岸には釣り宿が多くなる。
JRの線路に行き当たるが、川沿いにくぐっていけなそうなので、右に迂回して地下道を抜けた。
東芝の脇、羽田行きモノレールの高架下の遊歩道を歩いてふたたび川まで戻る。
■ 竹芝桟橋
竹芝客船ターミナル管理事務所
東京都港区海岸1-16-3 tel. 03-3432-8081
http://www.tptc.co.jp/
浜崎橋を渡って竹芝ふ頭にでた。
竹芝ふ頭から振り返ると、首都高速道路の浜崎ジャンクションがあり、ゆりかもめの高架線路があり、複雑に交通線が重なる下を、河骨川−渋谷川−古川と名をかえて流れてきた川が東京湾に流れこんできている。
ここまで、とても「春の小川」どころではない、閉じて窮屈な眺めだったが、もう一度海のほうに振り返れば、一気に風景がひらけていて、開放感が快い。
右にはレインボー・ブリッジ。
正面には、三角屋根のなかにほおずきの赤い実をかかえたような晴海客船ターミナル。
左には、かちどき橋が間近に見えている。つまりここしばらく流域のあちこちを歩いている荒川・隅田川と、東京湾にながれこむ位置はとても近いのだった。
また、それぞれにいろんな物語をかかえるいくつもの川を集め、受けとめる海の大きさというものを、あらためて思う。
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■ 帝国劇場『ラ・マンチャの男』
東京都千代田区丸の内3-1-1 tel.03-3213-7221
http://www.tohostage.com/
その隅田川・荒川を中流までさかのぼった寄居町には、七代目松本幸四郎(1870-1949)が別荘をもっていたことがあった。日が暮れてから、その孫、九代目幸四郎の『ラ・マンチャの男』を帝国劇場で見た。幸四郎と松たか子が熱演で、いい舞台だった。
異端のかどで逮捕されたセルバンテスが獄中で囚人たちと劇を演じる。
終盤に到り、現実の時間ではセルバンテスに宗教裁判の呼び出しの時が迫り、劇中ではドン・キホーテと思いこんでいた老人が最期の床についている。
どちらも哀れな終わりを迎えるか?
−劇中ではドン・キホーテがかつて崇拝した女性ドルシネアが現れる。熱い言葉で語りかけられて老人には意志がよみがえり、「また冒険に!」と立ち上がる。
セルバンテスも決然と裁判の場に向かっていく。
時間が限られても時間があるかぎり冒険の志をもつべきことを、ブルーノ・タウト設計の熱海の日向邸で教えられたように、今夜の舞台からも励まされた。
● 菜っぱと魚と豆子
東京都千代田区丸の内3-1-1 tel. 03-3214-7800
http://touhonpo.com/
帝国劇場の地下に降りると、かわった名前の店があって、食事にはいった。
今日のコースは妻と一緒だったり、別だったりしたが、最後に芝居と食事はまた一緒。
カレイの焼いたのなんかで飲んで、少しクラっとしてくる。
椎茸丼と稲庭うどんをとってたがいに味見しながら食べて、目にいろんな新しいものをえた1日を終わる。
参考:
- 『復刻版・大橋図書館四十年史』 博文館新社 2006(元の版は1942)
『石黒忠篤懐旧九十年』 石黒忠篤 博文館 1936 (「旧」は旧字体) - 『花咲ける孤独』 重本恵津子 潮出版社 1995
『夏の最後の薔薇』 重本恵津子 レイライン 2004
重本恵津子さんの別の活躍については[さいたまゴールド・シアター『95kgと97kgのあいだ』]







