| 高須山から金津創作の森・みくに龍翔館・中谷宇吉郎雪の科学館
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(財)金津創作の森財団 福井県あわら市宮谷57−2−19 tel.0776−73−7800 http://www.city.awara.fukui.jp/sousaku/index.html |
| 正面を入っていきなり植え込みの中央に自動車が転倒しているのは、西雅秋の作品「RECASTING PRESIDENT(2003)」。 その先に、アートコアという中心施設があり、展示室やレストランがある。 広い園内には創作工房やガラス工房が点在し、「アートドキュメント」という現地制作を含む現代美術のシリーズ企画でこれまでに制作された作品がいくつか残っていて、見ることができる。 ◇ ◇ 金津というところに来たのが初めてだし、そもそもそういう地名に聞き覚えがなかった。 でも、金津は鎌倉時代からの古い地名で、北陸街道が竹田川を渡る地点に位置する要所で、三国湊にも近く、交通の要衝だったという。 近代になって、三国港が衰退し、陸の道も新道に移り、重要性が低下した。 近くの芦原温泉は古いものではなくて、1883年に灌漑用の井戸を掘っていて湧いた。1889年、町村制施行のとき、温泉を掘るのに協力した11の村が合併して芦原村ができている。加越台地と竹田川の自然堤防に挟まれた低湿地帯の「芦の原」が由来という。 1972年国鉄金津駅が芦原温泉駅と改称され、金津町に芦原温泉駅があり、芦原町・金津町と駅名の関係は入り組んでいたが、金津町と芦原町は2004年3月に合併して、あわら市になり、ややこしいことがなくなった。 |
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| ■ アートドキュメント2004 古郡弘「森の砦」 この作品を見るために、この時期に福井へ行った。 金津創作の森では、「アートドキュメント」という現地制作を含めた現代美術のシリーズ企画を続けていて、その第7回。 展示室内と屋外の2か所に作品が作られた。 たんに2点ではなく、対になっている。 室内では、長い2つの展示室をぶちぬいた長い空間いっぱいに土の丘ができている。 まるで人体あるいは前方後円墳。 入口近くに、頭のような、「後円」のような小山がある。 その先に、やや平たい、胴体のような、「前方」のようなものがある。 全体の片側を、足先にかけて、細い低い林が塀のように囲んでいる。 林は、骨組に、新聞紙をちぎって糊で固めたものを貼りつけてある。この作業には地元の中学生たちが参加した。 内側が密で、外側が疎。 屋外では、池を囲んで土壁をめぐらして、砦になっている。 およその形はパンフレットで見て予想していたのだが、これほど大規模なものだとは思わなかった。 厚い壁。 高さはうねるように変化しているが、高いところではおとなの背の3倍くらいはありそう。 上部には細板が並んで塀の上部を保護している。 この外部制作には、地元の大学生が参加している。 壁の数か所の裂け目から中に入ると池がある。 ここでまた意表をつかれるのは、台が池にはりだして作られ、壺があり、盛大に葉をしげらせた植物が噴水のように活けてある。 内側の水面上は空白、周囲は密。 また、内部作品は乾燥で、外部作品は湿。 ◇ ◇ 作家はかつてイタリアに彫刻を学ぶ留学をしている。 イタリアで彫刻といえばまず大理石を思うが、今はまるで対照的な、土や、木や、紙を使っている。 固く、重く、時間がたってもほとんど変化しそうにない大理石に対して、ぼろぼろ崩れそうな土、軽くて薄っぺらで密度の低い板、すかすかの枝の束など。 この選択に強烈な意志を感じる。 やはりイタリアで学んだ安田侃が、大理石を彫り続けていることを対比的に思い出した。 作品の素材は、「石」−「土や木」とまるで異なっていて、その対照じたい明快で興味深い。しかもそんなに違った素材を使っているのに、どちらも建築的様相に至っていることが、なにか共通な問題意識・造形課題を抱えているようで、不思議な感じがする。 安田は北海道の生地にアルテピアッツァ美唄を作った。もとの地形がすっかり変わるほどに地形から作り直し(それも彫刻のようだ)、そこに作品を点在させて置く。 作品を孤立させるのではなく、場、風景を作ってしまう。むしろ場全体、風景全体が作品になっている。 アルテピアッツァ美唄の設計に対して、建築の賞である村野藤吾賞(第15回)が贈られている。建築界のこの目配り、選択には驚き、感心したものだった。 古郡作品も、パイプにモハモハとした枝の束をのせたくらいのごく小規模なものからどんどん拡大して、ついに池を囲む砦を作ってしまった。 誰か、どこかに土地と資金を提供して、まるごと古郡作品である古郡庭園みたいのができないだろうかと夢見たりする。 「庭園」という言葉を使うと狭く規定しすぎるなら、古郡高原でも、古郡谷でも、古郡郷でもいい。 で、アルテピアッツァ美唄に続いて、第○○回の村野藤吾賞を受賞する... ◇ ◇ 越後妻有アートトリエンナーレの2000年作品「無戸室(うつむろ)」、2003年作品「盆景 U」と、古郡作品は土俗的、日本的といえるような風合いをおびている。 1996年に大宮の公園通りや北浦和公園に作った作品からつながっていて、作品の素材、構成は似たようなものでありながら、その風合いは強まっている。 この一連の作品より以前のものとはかなり異質な印象を受ける。 金津創作の森での公開初日にあった、館長・針生一郎との対談でも、作品が変わってきていることについて質問があったが、こう答えている。 「変わってきているというより、気がついた。自分ではもっていたけど、気づかずにいた。(ヨーロッパが)隣のあおい芝生だった。」 金津での作品のタイトルは「夏安林 春楊花 桃園(あり やう おう)」。 蹴鞠(けまり)の場、鞠庭は約15m四方で、4隅に松と桜と楓と柳の木が植えてある。「夏安林 春楊花 桃園」は、鞠の神の名で、これらの木々に宿っていて、「あり」「やう」「おう」のかけ声にこたえて鞠に降りてきて宿るとされる。 たまたま僕はこの朝、泊まっていた宿のテレビでNHK人間講座「おもかげの国 うつろいの国」8回シリーズの最終回を見た。 講師は松岡正剛で、日本の精神の歴史、文化の歴史を、「編集」という言葉を鍵にして読み解いていくもので、とても刺激されながら見てきた。 各回がそれぞれ3回ずつ放送されるので、最終回の3回目はこの旅から帰ったあと見ようと思っていて、とくに気にしていなかったのだが、朝、慣れないチャンネルなのであちこちのぞいていて、2回目が放送されているのにいきあたったのだった。 日本では、和魂漢才や和魂洋才といわれるように、異質なものをとりこんできたが、今は本来のものをすっかり見失っているのではないかというのが、この講座の根本のテーマとしてある。 それをうたったのがたとえば西条八十(さいじょうやそ)の金糸雀(かなりや)(1918年 『赤い鳥』 に発表 )だと松岡はいう。 唄を忘れた金糸雀は 後(うしろ)の山に棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ (中略) 唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に銀の櫂(かい) 月夜の海に浮べれば 忘れた唄をおもいだす 「森の砦」の池と月見台が、月夜の海と象牙の船に、つい重なってみえた。 (後に西条八十は「銀座の柳」や「同期の桜」を作るようになるのだが、このころはこんな冴えた感覚で言葉を紡いでいた。) 最後に松岡がとりあげるのは司馬遼太郎で、近代以降の日本は、司馬には本来の日本ではない別の国に思えていた。そうした「別国」ではない日本、「真水(まみず)」の日本の具体的な場所として、司馬が伊勢の滝原をあげていることにふれている。 古郡が制作しようとしているものは、まさにこの真水の場なのではないかと思う。 このところ松岡講座に魅了されてきたので、その見方に引きずられすぎているかもしれないけれど、やはり公開初日の対談で作家が語った次のような言葉と思い比べてみると、まるで的はずれの見方ではないように思う。 「ヨーロッパをペッペッと唾のように吐き捨てていきたい。」 「作品のスケールは関係ない。これまで作品が外に置かれていた。僕は内におきたい。」 参考: [ 樽前山からアルテピアッツァ美唄 ] NHK人間講座「おもかげの国 うつろいの国」テキスト 松岡正剛 NHK出版 2004 |
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