| 榛名山(掃部ケ岳)から竹久夢二伊香保記念館・榛名町歴史民俗資料館 |
| 4 | ル・コルビュジェと竹久夢二 |
| 4-1 | 家は住むための機械 |
竹久夢二の日記を読んでいて、とても驚かされる文章があった。
1931年、アメリカ滞在中、7月10日と8月8日の間にいくつか短い記述があるなかの1つだ。(桑港はサンフランシスコ) ル・コルビュジェが「家屋は住むための機械である」という、今もしばしば引用され、論じられる言葉を記したのは、1923年刊行の’Vers une architecture ’で、1920−21年にエスプリ・ヌボー誌に連載した文章をまとめたもの。 最初の日本語訳は、「建築芸術へ」と題され、宮崎謙三訳、構成社書房、1929年の発刊であった。 (現在、手に入るのは「建築をめざして」 吉阪隆正訳 鹿島出版会 1967 ) 竹久夢二がル・コルビュジェを読んでいたのか。 アメリカの機械文明に触れて思いついた比喩が、たまたまル・コルビュジェの言葉と一致したのか。 不思議に思っていたら、アメリカでの夢二の軌跡を追った鶴谷壽の著書に回答があった。(「夢二の見たアメリカ」 鶴谷壽 新人物往来社 1997 ) 夢二がロサンゼルスの日本語新聞『加州毎日』に連載(1932.3.17-4.1)した「南加感傷」という記事にル・コルビュジェの名前がでてくる。
竹久夢二は、ただ、はかなげな絵を描いた人ではなかったと思う。 若い頃には先端的な社会思想家に親近感をもち、荒畑寒村や幸徳秋水などと交流があったこと。時代を表象する絵や詞や工芸品を生み出すセンス。大量生産ではない、生活と芸術家が結びついた生産を構想した「榛名山美術研究所」の計画。関東大震災など、社会的事件に強い関心をもち、絵にかき、文章にするジャーナリスト的感覚。滞欧中には、ナチスから迫害を受けるユダヤ人の救出にも関わっていたという。 今も大きな影響を及ぼしているル・コルビュジェに、早い時期に関心を寄せるところにも、竹久夢二の鋭敏な時代感覚を感じる。 |
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