三境山から富弘美術館


 富弘美術館


群馬県みどり市草木86
tel. 0277−95−6333
http://www.tomihiro.jp/


星野富弘は、口にくわえた筆で絵をかき、言葉を書く。身近な自然を描いた絵と、かけがえのない体験から生み出された言葉が、作品に接した人たちに生きる力を与えている。
その作品が見る人に与える力はとても大きなもので、全国各地はもとより、海外にまで、「富弘美術館を囲む会」ができている。



星野富弘は、体育教師になってわずか2か月後、器械体操で落下して体の自由を失った。身体的にも、精神的にも、幾度か生死の境で苦しむなかで、星野さんはいくつもの発見をしている。

口で文字を書き、絵をかく。「表現すること」の発見。
そのために、「見ること」の発見。

一枝の花とはいえ、じっと見ていると、山があり谷があり、林があり、底知れぬ洞窟があり、それは広大な風景でもありました。花を描く私は、その大自然の中をさまよう旅人でした。
  
(「花の誌画集 速さのちがう時計」 星野富弘 偕成社 1992)

かつては逃れるべき目標であった「ふるさとの自然が美しいこと」の発見。

星野 「銀色の足跡」って言ってるんですけど、夏に風が向こうの山を登って行くと、山の葉っぱが次々に裏返しになっていって、銀色の帯みたいに見えるんです。
三浦 わあ、いい。草むらなんかに、すーっと風が渡るのが見えるのって、素敵よね。
星野 大きな木で、まったく風がないときでも葉っぱが一枚だけ、ひらひら、ひらひら、動くことがあるんです。
三浦 ありますねぇ。あれなんでしょう。
  
(「対談 銀色のあしあと」三浦綾子 星野富弘 いのちのことば社 1988)

人の心のやさしさの発見。
家族に、医師や看護の人たち、かつてともに山に登った仲間、ふるさとの友人、そのほか、多くの人たち。

          ◇          ◇

それらにもまして、僕は「言葉の発見」に感動した。

生きる意志を失くしそうな長い闘病生活のなかで、ふといくつか詩を憶えていることに気がつく。萩原朔太郎や、立原道造の詩を、いくどもいくども思い起こす。すると自分の中に、自分を支えるための力があったのだと心が落ち着くようになり、しだいに安眠できるようになったという。
憶えていた詩の言葉が、生死のギリギリのところで、生きるための力となる−すごい経験だと思う。

 私は、ほんの少しだけれども、苦しい時に慰め、力となるものが、自らのなかにあることを知ってうれしかった。
 もし運よく生きつづけていくことができるならば、これらの詩のような命ある言葉を、もっともっとたくさん、心のなかに貯えたいと思った。
  
(『愛、深き淵より』 星野富弘 立風書房 1981)

言葉は、それほどに人を励ますことがあるのに、一方、「あの人の病状は回復不能で、人間として生きている意味がない」と決めつけるような言葉が、とくに悪意があっていわれているのでもなくても、発せられることがある。何とか生きる希望を見いだしていこうとする意志を打ちのめしかねない。

また、高校生の頃、豚小屋の堆肥を背負っていて、たまたま、小さな墓地に建てられたばかりの十字架に文字が書かれているのに出会うということがあった。
「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」
まさに労する者、重荷を負う者だったので、記憶に残っていた。
闘病生活のなかで、キリスト教の信者たちと縁があってキリストの教えにひかれ、洗礼も受けるのだが、ずいぶん前に聖書の言葉が予告されていたのだと思い至る。

また、手も足も動かせないために、あらゆることを言葉で伝えなくてはならない。
食事にしても、次にご飯を食べるか、どのおかずを食べるか、汁を飲むか、いちいち指示しなくてはならない。1日をふつうに暮らすためだけでも、必要な言葉の総量はたいへんなものになるのだろう。
しかも、次々に発する言葉が、介護する人にうるさくならないように、最小限で、なおかつ指示すべきことが確実に伝わるようにしなくてはならない。
これはずいぶん言葉の訓練になったという。

美術館で詩と花の絵がひとつずつ束になった作品を眺めていく。
次々に作品をみていくと、僕には、やや人生訓めいたニュアンスがですぎかなと感じられるものもあったが、ごく自然に感情を表現しているものに、ひかれた。
「深い淵」におちいったときに、わずかの言葉で浮かび上がってきた人が記す言葉が書かれている。

さりげない、身近に咲いている花を描いた絵はすばらしいものだった。
細部ごとに、気に入った色合いが得られるまでに、絵の具を用意する母や妻との間で厖大な量の言葉が費やされているわけだ。
無心で見てもすてきな絵だが、その言葉の量を想像してみると、あらためて圧倒され、感動する。

          ◇          ◇

1946 群馬県勢多郡東村神戸に生まれる。
1970 群馬大学卒業。中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失う。
1972 群馬大学病院入院中、口に筆をくわえて字や絵を書き始める。
1974 聖書に出合い洗礼を受ける。
1979 前橋で初の作品展。退院。
1981 結婚。
1991 東村立富弘美術館開館
   国内・国外でいくつもの詩画展を開催
2004 富弘美術館の入館者累計450万人
2005 新館開館
2006 東村は合併によりみどり市となる


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