| 安芸小富士から平和記念資料館・ひろしま美術館
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| 2−3 | 平和記念資料館・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 /丹下健三 |
| ■ 平和記念資料館 広島市中区中島町1-2 tel. 082-242-7798 http://www.pcf.city.hiroshima.jp/ |
| 西に茶臼山、東に比治山(ひじやま)を端にもつ平和大通りを横軸に、平和記念資料館の中央から原爆死没者慰霊碑−平和の池−平和の灯を経て原爆ドームにいたる南北の線を縦軸に、(北を上にして)倒立したTの字の構造に、平和公園は設計されている。 設計は丹下健三。 1948年の世界平和記念聖堂のコンペでは、1等がなくて、丹下案と他にもう1案が2等に並び、コンペによる案は実現しなかった。 1949年、「広島平和記念都市建設法」が成立、再建の中心的課題となった平和公園とそこに立つ平和会館のコンペに、丹下健三案が選ばれ、これは実現して、1955年に開館した。 都市のあちこちにあれこれの建築がバラバラにあるのではなく、明快に軸線を持って結ばれ、都市のコアとなることが目指されている。 とくに広島では、そのコアが、都市の歴史、性格、目的を表している。 |
| 広島城−基町高層アパート−広島市立基町高等学校のつながり、縮景園と広島県立美術館、リーガロイヤルホテルとそごうを結ぶ基町クレド、比治山の公園計画など、広島のその後の都市づくりにも、平和記念公園の設計思想は意識されているのだろうと思う。 ピロティの形はル・コルビュジェからきているが、平和大通りから数万人が集まる広場に抜ける門として機能させるために柱だけの空間にしたと、丹下は書いている。 (「人間と建築」 丹下健三 彰国社 1970) ル・コルビュジェのピロティが、いかにも上からの重量を支えているふうで重々しいのに比べ、日本の伝統を意識するようになったという時期の丹下健三の設計には繊細な美しさが感じられる。 |
| ユニテ・ダビタシオン/ル・コルビュジェ 1952 |
| 平和記念資料館/丹下健三 1955 |
| ■ 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 広島平和記念公園内(原爆死没者慰霊碑[広島平和都市記念碑]の隣) http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/ 被爆からおよそ半世紀を経て、新たに平和公園内に作られ、2002年8月に開館。 設計は丹下健三・都市・建築設計研究所。 「平和祈念・死没者追悼空間」と情報機器を使った「遺影コーナー」「情報展示コーナー」「体験記閲覧室」とからなる。 反時計回りに下っていった先に祈るための空間がある。円形の小部屋で、死者の数のタイルで、当時の広島の風景が描かれている。 世界平和記念聖堂のれんがの数が被爆による死者の数だといわれるのは、もしそうだとしても偶然にすぎないというが、こちらでは明確に死者の数のタイルを使っている。 中央の黄色みをおびた光を帯びた水盤には水が流れている。「水ヲクダサイ」といいながら亡くなっていた人たちへの思いがこめられている。 ただ、祈る場所にしては、もうひとつ気持ちが集中できなかった。 下っていく通路の途中にある説明も、立ち止まって読む気になりにくい作り方だった。 |
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| 参考:「ル・コルビュジェと丹下健三」 藤森照信 『ル・コルビュジェと日本』高階秀爾、鈴木博之、三宅理一、太田泰人編 所収 鹿島出版会 1999 |
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