| 安芸小富士から平和記念資料館・ひろしま美術館
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| 2−4 | 平和大橋/イサム・ノグチ |
| 丹下健三は平和記念資料館を設計している頃にイサム・ノグチと出会っている。丹下が日本の伝統を意識しはじめた時期で、イサム・ノグチが日本の伝統と対決するしかたから影響を受けたという。 平和大通りにかける橋の勾欄の設計について建設省から相談を受けた丹下はイサム・ノグチに依頼する。 ニューヨークで彼のデッサンを受けとったとき、コンクリート打放しの勾欄が、すばらしいスケールで彫刻されているのを見て、私ほ、何か伊勢を感じた。その後その橋の工事のために彼と広島を訪れたとき、私の陳列館を見て、彼は、伊勢の気持だと言った。ノグチさんのこの橋も伊勢の気持だったのだなと、私は苦笑せずにはいられなかった。それは、彼が「創る」とよんでいる橋である。この太陽をかたどった橋は伊勢の力強さをもっている。もう一つの橋を彼は「行く」とよんでいる。日本の古い舟のかたどりがそこにあるように思われる。それは何か、静かに、やさしく、去ってゆく姿のようである。 (「人間と建築 デザインおぼえがき」 丹下健三 彰国社 1970) 橋は平和記念資料館より先に1952年に完成し、<つくる><ゆく>は、その後、<生きる><死ぬ>と呼ばれている。 とても橋らしくない勾欄なので、えっ、これが橋?と驚いてしまった。 できた頃にはそうとうの反対意見があったというが、50年もたったから定着したかと思ったら、50年もたったから架け替えようという計画が進んでいるという。 参考: → [ 樽前山からアルテピアッツァ美唄 モエレ沼公園 ] |
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