| 弥山から厳島神社・宮島歴史民俗資料館
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| 2 | 厳島神社 |
| ◇ 海中楼閣 ◇ 1168年に平清盛が京都から宮大工を派遣して大鳥居や本殿など37棟を砂州の上に建てた。瀬戸内海は干満時の潮位差が大きく、潮の満ち干に応じて眺めが変わる。 波をかぶるような位置に建築した理由は諸説があるらしい。 ・青い海、緑の山に、赤い社殿を配置して、極楽浄土を再現した。 ・原始信仰では島全体を神聖視したから、ご神体である島に社殿を造営するのをはばかった ・海神をまつっているため現世に竜宮城を再現しようとした−など。 海に建物を造るための工夫がされ、波が荒れそうなときには、社殿の裏手にストックしてある石を、神官が一輪車に乗せて運び、高潮で床板が浮くのを防ぐ。また、床板の一部にはもともとすき間があり、波の圧力を逃す働きをしている。 昔は厳島神社には船でしか行けなくて、対岸から小舟を漕いで大鳥居をくぐり、本殿正面前に突き出た板張りの「火焼前」(ひたさき)に船を留めて上がったという。「火焼前」は、桟橋の役目をしていたことになる。 |
砂浜に水が湧き出ている丸い池が3カ所あるうちの1つ、客神社脇の鏡池。 「厳島八景」の「鏡池秋月」と称され、この池に映る月が和歌や俳句に詠まれている。 |
| ◇ 大鳥居 ◇ 厳島神社の拝殿の沖に立つ。 楠の自然木を使っていて、楠は腐りにくく虫に強い。桧皮葺(ひわだぶき)の屋根が乗っている。 干潮のときに間近まで歩いて行った。 茫洋とした海の中に立つ写真を見ていたから、格別大きいと意識していなかったが、じつはとても大きい。高さ16m。 さらに見方が粗雑だったと思わせられたのは、柱の太さが均一でないこと。 主柱の周囲が10メートルを超える自然木で、杉なんかだったらかなりの高さでもほぼ太さはかわらない(ゆるやかに細くなっていく)と思うのだけど、根元から上に絞るように細くなっている。根元では、ごつごつした幹の線がそのまま砂州に接しているので、ここに自然に生えている木を鳥居にしたのかと思ったほど。 もう1つ、うかつな目だったと思ったのは、柱が6本あること。 左右2本の柱に、前後に2本ずつの支えの柱を組んである。 鳥居というものは全て、2本の柱を立て、横にも棒を2本渡して結んであるだけのものだと何となく思いこんでいたが、帰ってから鳥居についての本をみると、いろんなバリエーションがあるのだった。 これは両部鳥居または四脚鳥居と名づけられていた。全部では6本あるのに、補助の柱だけを数えて四脚というのがおもしろい。 (帰ってから、よく行くセブンイレブンの近くの、ふだんは誰もいないごく小さな神社に、ミニチュアみたいに簡素だが、この型の鳥居があるのを見かけた。今まで何度も目に入っているはずなのに、まったく気がついていなかった。) 支えの柱がつき、屋根の直下に人間の拳(こぶし)くらいの石ころ約7トンを重しに入れて、上から押さえてもいるとはいうのだけれど、鳥居そのものを固定はしていなくて、置いてあるだけだということにも驚いた。 各柱の下に周囲2.3尺、長さ8.9尺の松材の杭が数千本打たれている。現在の主柱はこの千本杭の上にコンクリートと花崗岩の基礎をつくってその上に柱を置いているが、明治8年までは千本杭の上に地形(じぎょう)の上に直接柱が置かれていた。 海上の社殿−厳島神社 鈴木充 日本名建築写真選集第8巻『厳島神社』 新潮社 1992 所収 1168年に最初に建てられて以来、現在のものが8代目。 嘉永年間(1848−1853年)の台風で棟を飛ばされ、しばらく6本の柱だけが海中に立っている状態だったが、上に引用にあるように1875年(明治8年)に修復されたものが今、立っている。 |
満潮時の眺め オレンジ色の横線あたりが人の頭くらいの高さになる。 夜はライトアップされる。 (上方の白い点は月。) |
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