| 伊東豊雄とせんだいメディアテーク |
| 1 せんだいメディアテークはこういうところ/ 2 せんだいメディアテークの印象/ 3 伊東豊雄 が長く追い求めてきたもの/ 4 せんだいメディアテークの新しさ+今後の展望/ 5 せんだいメディアテーク 完成までの経過+コンセプト/ 6 伊東豊雄 の略歴/ 7 伊東豊雄 設計の museum に行く/ / [ 蕃山から仙台のミュージアム ] に戻る / TOP / |
| 2 せんだいメディアテークの印象 |
| 定禅寺通りを歩いて近づいていくと、けやきの並木の向こうに水の塊のような建物があった。 一見ディスプレイのようみえる細いチューブの束が、実は構造を支える柱。50m四方の6枚の床をもつ、高さ30mのビルを、13本のチューブが支えている。チューブの中に、エレベーターや階段や空調のパイプなどが通っている。(そのエレベーターもシースルー) |
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構造壁はなく、機能ごとに空間を区切る壁も最小限に抑えてある。「ここは○○室」と限定したところが少ない。 柱は細分し、傾いている。壁はごく少なく、あっても透明か半透明。それで柱や壁が視線をさえぎらないし、立ちふさがらない。 床は薄く、チューブの部分は抜けているので、上下にも空気や光や視線が通る。 透明で開放的で広い。 機能で空間を細かく分割した、たいていの大規模な建物には、明るい中心がある一方で、影の部分、死んだ部分ができてしまうが、ここではない。何かの裏だったり、分割から残った余白だったり、いつのまにかほこりがたまっているようなところがない。 大きな体積のごく一部だけ利用者の利用空間が指定されているのではなく、初めて訪れた利用者もほぼ全体を把握できる。あなたはここからは立入禁止ですという疎外感がない。 僕は、今までの大きな建築に何となし不満を持っていて、こんな空間をもった建築をいつか見たいものだと思っていたことを、実現してみて、あらためて確認した。 (引き合いにだすのも憚られる小さなものだけれど、僕自身の家を建てるにあたり、細かな部屋に分割してしまわないで、体育館か、倉庫のような家というイメージでお願いしたくらい。「箱の家」参照。) 今まで経験したどんな建築とも違う感じがする。単なるデザイン上の独自性ということだけではない、原理的に違うという実感が確かにある。 |
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5階と6階の展示を見たあとで、ベンチに腰掛けてしだいに日が暮れていくのを眺めていると、壁面全体がガラスなので、体が宙に突き出されているかのように感じられてくる。まるで、単純に3枚の床を6本の柱が支える、ル・コルビュジェのドミノ・ハウスのスケッチの中にいるな気がしてきたのだが、設計者・伊東豊雄はこういう。 当初、「せんだい」の構造システムは「ドミノ」の展開であろうと考えていた。繰り返し可能な原形的なモデルを考えていたのである。(中略)むしろ「ドミノ」のような近代合理主義の論理と対決するシステムであることを痛感するに至った。」 (「近代を超える『もうひとつの空間』」新建築 2001.3月号) 傾いたチューブが支える構造は、従来の技術では対応できないので、造船技術を応用し、現場では造船の作業者が溶接作業にあたったという。 およそハイテックな建築のイメージとはかけ離れた暴力的な様であった。鉄錆が舞い、溶接の火花が飛び散る風景が延々と繰り広げられた。 (伊東豊雄「2000」 『透層する建築』所収 青土社 2000) 工事途中の写真では、まだ塗料を塗られない、ガラスにも覆われない、むき出しのチューブがかご状にいくつも立つ異様な姿が写っている。写真でも実際でも見慣れた、従来のビル工事現場とは違う、まったく初めてみる風景であった。これまでと違うことをしていることが、完成後よりも、工事途中の様子によく現れている。 |
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外に出てみると。夜は光の箱になっている。 エレベーターのカゴの上部にとりつけられた照明灯が、上に光を発しながら上がり下りしている。穴のあいた床を通過していくので、上昇するときは、光の束を広げながら、下降のときはすぼめながら移動する。これも今まで見たことのない風景で、SF映画を目にしているようだった。 |
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