| 首里城 ( しゅりじょう) から 沖縄県立博物館
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守礼の門をくぐり、右に城西小学校があるのを見て先に進むと、左手に玉陵がある。 1501年に第2尚氏3代目の尚真王が、父尚円の遺骨を見上森陵から移葬するために築かせたという王家の墓。 石造建築物の墓所は、広い(今の感覚でいう)公園の奥まったところにある。適度な間隔で植わっている木々が、レースのショールのようなボロボロしたものを枝から下げていたりして、いかにも南国を思わせる。その木々の枝々が暗がりをつくる下を歩いていく。守礼の門を抜けてからここの入口まで、ごく日常的な、車が走っている道の歩道部分を歩いてきたのだが、じょじょに聖的な場所に近づいているという心構えが自然にできてくる。 墓所は大きな「日」の字形をしている。 石垣の壁が横長の「日」の字を描いて、2重の中庭を構成する。 「日」の字の下の横棒の中央の小さな門から入り、第1の庭に入る。 ここか壁にかこまれているだけの庭だが、すでに聖的な空気が支配している。 中央の横棒の、また小さな門をくぐって、第2の庭に入り、3室で構成される上の棒に対することになる。 上の横棒は、厚く、長く、自然の岸壁に穴を開けて作られていて、木造建築を石造で表現している。 東室・中室・西室の三つの部屋がある。王族が亡くなると、ひとまず中室に安置して朽ちるのを待ち、数年後に取り出して、骨を洗い清める洗骨ということをする。 洗骨後は石棺や甕棺に収めて、王と王妃は向かって左の東室へ、その他の王族は右の西室へ安置した。 自然の岩山を利用して作ったもので、とくに左の東室の上部はゴツゴツした岩肌がもとのまま見えている。 各室は木造建築物の形に、石で作ってある。屋根の先端にそりをつけ、屋根を支える多数の垂木まで表現している。 戦災で崩壊し、1977年復元されたというのだが、復元技術が高いのか、沖縄の日射しと温度と湿度が作用するのか、十分に古びていて、長い年月を経たもののように素直に感じられる。
首里城の京の内や、大アカギの御嶽でも感じたことだが、ここでも閉じ、かつ開いている感覚が、ここちよい。壁で囲って日常の世界から離れている集中した印象。小さな門が見えていて、自由に移動できることが保障されている安心感。視線も気分も空に広く抜けている開放感。それらがじつにバランスよくとけこむように、絶妙につくられている。 新しい建築をつくるうえでも、こういう空間のつくりは1つの目標になるものではないかと思った。 現代の建築で、こういうのに見合うものがあったろうかと思いだそうとして、なかなか浮かんでこない。 |
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