| 名護城(なごグスク)から名護市庁舎・名護博物館
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| 3 | 名護博物館 |
| 名護市東江1-8-11 tel.0980-53-1342 http://www.nago-museum.org/ ■ さらっと見て帰る 本部(もとぶ)半島を反時計回りに一周して、名護市庁舎を見て、これから南に、那覇方面に戻っていこうとする最後に名護博物館に寄った。朝のうちに前を通りかかり、大きな建物ではないから、あまり時間がかからないだろうことを確認していた。
受付で入館料150円を払って入ると、そこから背中方向に常設展示室1がある。細長い部屋で、民俗資料が展示されている。天井は木の格子を組んであって、かわった眺めになっている。 2階に上がると、左に沖縄のクジラについての特別な展示室があり、右は常設展示室2で、ジュゴンなどの自然資料や、浜でのマース(塩)とりの様子を示したジオラマ的展示などがある。いちばん奥には作業室があるが、このときは人がいなくて閉じていた。どの部屋も小さくて、さらっと短時間で見終えてしまった。
1階に戻る。受付と常設展示室1の間は通り抜けられる、半屋外のようなところで、何かの作業をしている人が出入りしている。 中庭に抜けると高倉式住居が復元されている。 奥には収蔵庫がある。木造みたいで、彩色され、一部が、弧を描いて張り出している。がっちりした、堅固な、空調完備の施設−という、通常の収蔵庫のイメージからは遠い。 収蔵庫へのていねいな案内表示があるので、もしかして公開しているのかと思い、館の方に尋ねたが、やはりここは非公開とのことだった。
受付脇のギャラリーでは高校生らしい人たちが数人いて、絵画展を開催していた。 展示物には格別目をひかれるほどのものはなかったのだが、展示屋さんやレプリカ屋さんに外注してしまわずに自分たちの手で作っているらしいことと、ただ展示を眺めているのではないらしい人の動きがあちこちにあって、親しまれているらしいことに、いい印象を受けた。 新設の博物館では、展示物はきれいに整理され、経費のかかったパネルやCD映像なども置かれ、立派な展示がされているのによく出会う。その中を、ポツリポツリととても数少ない入館者が歩いていく。 「もの」そのものを見ている、感じている、というより、「展示」を見せられているような気がすることがある。 この博物館では、そういう冷たい展示になる前の、洗練されてはいないが、「もの」と人が親しい関係にあるような気がした。 ■ 帰ってから、熱い図録に感動する そんなことで、かすかに予感がはたらいて、『名護博物館20年の歩み歴史展』という図録を買って帰った。 2004年10月30日から11月25日まで開催された記念展の図録だが、ふつう20周年記念展などといえば、かなり気合いのはいった大規模なものを考えてしまうけれど、会場が名護博物館ギャラリーとあって、学校の教室1つ分くらいの広さのところだから、量的にはつましいものだったろうと思う。 図録を読んでみると、たしかに生きている実感がある博物館で、感動してしまった。本来、本ではかなわないナマのものを見るために博物館に行くのであって、帰ってから文字や写真に感動するのはサカサマなことで、もっとしっかり心して見て来るのだったと後悔した。 ◇ ◇ 名護市は1970年に1町4村が合併して誕生している。 翌年、1971年から名護市教育委員会社会教育課で 民俗資料収集を開始した。 旧市庁舎を改修して1984年に博物館が開館。 20年を経た記念展の図録には、開館準備期や、その後の展開期に関わった人たちが、いろいろな立場から思い出を書いている。 いくつかを引用してみる。
とりすました博物館ではなくて、おとなも子どもも引き寄せる魅力をそなえた場であったことが伝わってくる。 博物館の専門職員より、こうした少し外れた立場で関わった人の文章のほうが熱意がこもっていて楽しかった。(専門職員の文章は、概括的・説明的になって、やや冷めていた。もちろん、それはそれで必要な内容ではある。) また、名護市庁舎を設計した象設計集団の一員坂本和正氏が設立した方圓館という設計事務所が東京・世田谷にあり、旧市庁舎からの改修工事に関わって、常設展示室の格子の天井など、ユニークな味をかもしている。 のちに世田谷の方圓館でアルバイトした人が、徹夜でよく働いたご褒美に、名護博物館開館1周年に行かせてもらったことがある。その頃、鯨類のレプリカを作る作業があり、生き物とものづくりが好きでタダ働きを志願して協力し、さらに夜中にハブを捕りにいったり、収蔵庫に泊まりこんでFRPのバンドウイルカを作ったり、とうとう名護に住み着いてしまったという。(細川太郎『思い返せば・・・名護博物館』) 図録を見ていると、博物館の活動の基本にある「ぶりでぃ」(群手)という言葉がよくでてくる。 「ぶりでぃ」は、多くのものが集まっている状態を表す「ぶり」と、手を表す「てぃ」を組み合わせて、「みんなの手で創り上げる」ということを表現している。 おとなも、子どもも、いろんな人を引き寄せる、渦巻くようなパワーが感じられてうらやましくなった。 (でも図録の文章に頻出する沖縄方言に簡単な説明が欲しかった。何度もでてくる「ぶりでぃ」という言葉さえわからず、ようやく博物館のホームページで上記の説明を知ったのだった。うちわで盛り上がっているのを眺めて置いてきぼりにされてるような、寂しい感じがちょっとした。) ◇ ◇ ほかにも感心したことがあった。 1つは、資料の収集の視点で、もともと歴史民俗資料、自然史資料、考古資料、美術資料、図書資料など、全方位を向いた博物館なのだが、ファミコンも収集してあるという。 博物館は、すでに価値が定まっているものにばかり関心が向きがちで、現在のものは案外、大事にされていないことが多い。時間がたって、あれにもモノとしての価値があった−と気がつく頃には手に入りにくくなっているということが大いにありそうだが、こういう視点をもって収集している博物館があることは心強い。 もう1つは、博物館自体の活動の記録をしっかり保存していること。 名護市内の小学校5、6年生を対象にした「ぶりでぃ子ども博物館」という講座がある。1987年に始まっているが、講座の参加者が記した文章をまとめた冊子を、最初のときから保存しているということに驚いてしまった。 ○○周年記念誌というのは、たいていつまらないが、博物館の活動の記録を残すことにとくに関心が払われていない風土では、せめて節目ごとにでも記録を残していく意味がある。 この博物館では、そんな最低限のひっかかりだけでなく、しっかり歩みを残す意志をもっているようだ。 ◇ ◇ 旧市庁舎を改修した博物館は10年間の暫定使用のはずだったのに20周年を迎えてしまった。単純に喜んでばかりはいられない。 空調が完備してない、狭い、したがって名品が展示されていない、コンピュータや映像の新機能が使えない、など数々の不足があって、2001年には新博物館を作ろうという構想がまとめられている。 でも、むしろ実現しなくてもいいのではないかとも思ってしまう。 すでに全国あちこちで、似たような構成、似たような展示の博物館ができている。中身は各地の固有のものが展示されているにしても、洗練といえばそうだが、モノが生きていない、金太郎飴的展示におさまってしまっている。 今、新しい博物館を作ろうとして、現博物館誕生のときのような、熱い生みの喜びを再びよみがえらせるようなことが可能だろうか、と心配になる。 貴重な所蔵品を安全に公開するのはもちろん必要だが、大きく、広く、立派にすることではなく、これまでの市民の熱気がただの昔話にならないようなしかけや、それを可能にする建築的用意こそを考えてもらいたい。 ◇ ◇ 入館料150円、図録が500円で、費用対感動比がじつに大きい博物館だった。 行ってよかったし、買ってよかった。 近頃、財政状況が厳しく、博物館に関しても暗い話題が多い。 でも、名護博物館のように、潤沢な予算措置がされていなくても−ということを確認したわけではないが、たぶんそうだろう−、いろいろな人が関わって、生きた活動をしている博物館があるということに、おおげさかも言い方かもしれないが、希望を覚える。 だからこそ、それにつけても、新博物館を作るときにも温度の高いものにしてほしいと願わずにいられない。 ◇ ◇ 1970 1町4村が合併して名護市誕生 1971.5 名護市教育委員会社会教育課で 民俗資料収集を開始 旧琉米会館の宿直室を改造した収蔵庫に収める のち空き地のプレハブを収蔵庫にする 1981.4 旧市庁舎の一部を収蔵庫に改修し、資料を移す 1981.6 名護博物館準備室設置 1982.2 旧市庁舎からの第1期改修工事竣工 1982.3 市民ギャラリー開廊 1983.2 第2期改修工事竣工 1984.1 第3期改修工事竣工 1984.3 名護博物館開館 1986.3 新収蔵庫完成 1993.8 登録博物館認定 2004.10 開館20周年記念展開催 |
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