僕はこの文章から、リチャード・ブローティガンが1964年に書いた小説(といっていいのか)「西瓜糖の日々」を連想した。
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小屋は小さいが、わたしの生活と同じように、気持のよいものだ。ここの物がたいがいそうであるように、この小屋も松と西瓜糖と石でできている。
わたしたちは西瓜糖で心をこめて生活を築いてきた。そして、松の木と石の立ち並ぶいくつもの道を辿って、わたしたちの夢の果てまで旅をしてきた。
(中略)
西瓜畑が見える。その畑を流れる川が見える。松林と西瓜畑には橋が多い。わたしの小屋の前にも橋がひとつ架かっている。
いくつかの橋は木造でとても古く、銀色のしみが降る雨のようだ。遙か遠くの地(くに)で採集された石でできている橋もある。そういうのは石の故郷の遙かさにふさわしく、立派な造りだ。西瓜糖でできた橋もいくつかある。わたしは西瓜糖のがいちばん好きだ。
(西瓜糖の日々 リチャード・ブローティガン著 藤本和子訳 河出書房新社 1975)
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一方は現実の建築のための言葉であり、一方は西瓜糖(という、この本を離れれば非現実的物質で)暮らしを作っている幻想的な世界の話なのだが、文体から受ける印象がとても似ている。
できあがった建築にしても、僕は東野高校のキャンパスを歩いていて、「西瓜糖の日々」の「わたし」が、恋人が眠ったあと、ひとりで夜の散歩にでているような気分になったりした。
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