[天覧山・巾着田から入間市博物館+盈進学園東野高等学校] 西瓜糖の日々/R.ブローティガン



3-5 無名の質−わたしの名前


アレグザンダーは、自分が建築に求めているものは、美beauty、居心地のよいcomfortable 、捕らわれのないfree、正確なexactとかいう言葉では表現しきれないという。それは生き生きとしているaliveとでもいうしかないもので、それを「無名の質」The Quality without a Nameといっている。
この言い方は、またブローティガンを想起させるもので、「西瓜糖の日々」には、こういう文章がある。

 わたしが誰か、あなたは知りたいと思っていることだろう。わたしはきまった名前を持たない人間のひとりだ。あなたがわたしの名前をきめる。あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前なのだ。
(中略)
 もしかしたら、子供のときした遊びのこととか、あるいは歳をとってから窓辺の椅子に腰かけていたら、ふと心に浮かんだことであるとか。
 それがわたしの名前だ。
 それとも、あなたはどこかまで歩いて行ったのだ。花がいちめんに咲いていた。
 それがわたしの名前だ。
 あるいは、あなたはじっと覗きこむようにして、川を見つめていたのかもしれない。あなたを愛していた誰かが、すぐそばにいた。あなたに触れようとしていた。触れられるまえに、あなたにはもうその感じがわかった。そして、それから、あなたに触れた。
 それがわたしの名前だ。
 それとも、こういうことだっただろうか。ずうっと遠くで、誰かがあなたを呼んでいた。その人たちの声はなんだか木霊みたいに聞こえた。
 それがわたしの名前だ。
 寝床に入って、横になっていたのかな、もうちょっとで眠ってしまうところだったのだが、あなたはなにかのことで笑った。ひとり笑い。一日を終えるには、これはいい。
 それがわたしの名前だ。
                             (西瓜糖の日々 前掲)


こんなふうに、「わたしの名前」は、まだ続いていく。
もちろん、アレグザンダーの思考とブローティガンの小説に部分的な呼応が感じられるというだけのことであって、「西瓜糖の日々」全体がアレグザンダーの考え方をそっくり小説の言葉に置き換えて表現しているというわけではない。
また、「西瓜糖の日々」と、「A Pattern Language」と、「盈進学園パタンランゲージ」とは、それぞれ約10年の時間差がある。
それにしても、既成の言語や規範にとらわれないこととか、東洋思想の影響とか、1960年代から1970年代にかけてのアメリカの特に西海岸の精神性が、共通して現れているとはいっていいように思える。

リチャード・ブローティガン(1935-84)はワシントン州タコマ生まれ。
20歳ころ、サンフランシスコに移り住む。
1961年、マスが泳ぐ小川のキャンプで執筆した「アメリカの鱒釣り」が世界的ベストセラーになる。
1968年に「西瓜糖の日々」を出版。
「サンフランシスコに行くなら髪に花をつけて行こう」という詞の歌がうたわれていた時代で、花や、ロックや、ドラッグを楽しむヒッピーが、反体制・反規範のカウンター・カルチャーのコミューンを作ろうとしていた。



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