| 茶ノ木平・明智平から旧イタリア大使館別荘
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| 4 | 別荘地としての日光 |
| 2000年に水戸市立博物館で五百城文哉展が開かれた。 小杉放菴や、のちに青木繁と親しくなる福田たねの絵の師として、名前はときどき見かけるのに、その人がどんな人でどんな作品を描いていたのかは、ほとんどで知らなかったので、行ってみた。 山に登って植物採集をし、新種を発見し、植物画も多く描き、自宅に庭を作り、牧野富太郎と交流があるなど、期待以上におもしろいことをしている人だった。 日光に住む画家というのが、そもそも不思議に思えたのだが、日光は明治開国後、早くから外国人が訪れ、その風景を描いた絵がマーケットとして成り立つような地であったということに、そのときあらためて思い至った。 イタリア大使館別荘記念公園内にある「国際避暑地歴史館」では、日光に別荘を建て、長期に滞在する人も多かったことを教えられた。 明治中期から昭和16年頃までが日光の別荘の最盛期で、「夏は外務省が日光に移る」といわれたという。 外国人が日本見物に日光・鎌倉・京都を巡るのは定番コースだろうが、涼しいし、東京から適度な距離でもあるから、別荘としても適当ではあったわけだ。 でも、別荘地としての日光は、たとえば軽井沢に比べて、印象が薄い。 それに軽井沢は多くの文学作品を生んだのに、日光には名作が思いつかない。 軽井沢の洋風なイメージは恋の背景になるが、タウトほど厳しい評価はしないとしても、東照宮を背景に現代の恋を語るのは難しいかもしれない。 日光はあちこちを歩いているから、すばらしい自然があるのを僕も知っている。それに東照宮。 でもレーモンドの別荘や、金谷ホテルで時を過ごして、これまで知らずにいた日光の魅力を、今さらながら再発見した思いがする。 長崎のグラバーが日光に別荘を持っていたり、鱒釣りの社交クラブがあったなんていうことも、今回初めて知った。 これも井上−レーモンド−タウトをめぐって歩いているおかげともいえる。 ■ 関連年表 赤色:ライト、レーモンド、タウト、日光金谷ホテル、帝国ホテル (建築) 青色:五百城文哉 小杉放菴 牧野富太郎 植物園 (* <高崎哲学堂発 井上房一郎、ブルーノ・タウト、アントニン・レーモンドをめぐる旅> 全体の年表・参考文献などは、第1回の最後のページにあります。) 766 勝道上人、日光開山 848 慈覚大師円仁、日光を訪れる 1634 東照宮の造営開始 1871 金谷善一郎(日光東照宮楽人)、日光を訪れて宿がなく難渋していた米国人宣教医ヘボン(ヘップバーン)博士を自宅に泊める 1873 金谷善一郎、ヘボン博士の勧めに従い、四軒町(現在の日光市本町)の自宅を改造して外国人向け民宿カナヤ カッテイジ・インを開業 1875 イギリス公使アーネスト・サトウ(1843-1929)、「A GUIDEBOOK TO NIKKO」を発行 1885 東京−宇都宮に鉄道開通 1887 司法省の法律顧問、イギリス人ウィリアム・L・H・カークウッド、外国人として初めて別荘を建てる 1888 日光−細尾に牛馬鉄道開通 1889 馬返から中禅寺湖まで人力車が通れる道ができる 1890 宇都宮−日光に鉄道開通 1892 五百城文哉(1863水戸-1906日光)、日光に住む 1893 トーマス・グラバー(1938-1911)、湖岸の大崎に別荘 *グラバーはイギリス生まれ。長崎にグラバー商会を設立し(1862)、グラバー邸に暮らしたが、商会の倒産後は、三菱に招かれ、東京にすみ、日光に保養にでかけて、中禅寺湖で鱒釣りを楽しんだ。 小杉放菴(1881日光-1964新潟県赤倉)、五百城に弟子入りする 五百城文哉、シカゴ・コロンブス万国博覧会に「日光東照宮陽明門」を出品 この博覧会で、平等院鳳凰堂を模した日本館からライトは強い印象を受ける。 1893 金谷善一郎、神橋近くに建築途中で放置されていた三角(みかど)ホテルを買収し、金谷ホテルと名付けて開業。本館2階建て30室 1894 五百城文哉、自宅の庭に、奥日光の地形を模したロックガーデンを作る。中禅寺湖の池、日光連山の築山などがあったという。 1896 アーネスト・サトウ、砥沢に別荘 1898 黒田清輝(1886鹿児島-1924)が日光に滞在、「昔語り」を制作 福田たね(1885-1968)、五百城に弟子入り(1903まで。上京し、不同舎で青木繁と出会う。) 1898 田母沢御用邸創設 1899 外国人への旅行制限なくなる 1900 五百城文哉、城数馬と日光女峰山に登って新種のランを発見、和名ニョホウチドリ。牧野富太郎が城と五百城の名を含む学名をつけた。 五百城が庭に栽培しえいたキバナノコマノツメを見るために皇太子(のちの大正天皇)が訪れた。 1901 金谷ホテル、新館建設。ボールルーム及び客室を増設 牧野富太郎、五百城宅に滞在(1904にも) 1902 東京帝大付属植物園日光分園が開園。松村任三(東京帝国大学教授・植物学)、五百城文哉、城数馬とで、設置場所を相談したもの。 1902 グラバーは、北アメリカ・コロラド産の川鱒(ブルックトラウト)を湯川に放流(嵐で流され、1904年にも放流した) 1905 建築家フランク・ロイド・ライト、日光を旅行し、金谷ホテルに宿泊。 1905 イギリス人登山家、ウォルタ・ウェストンが五百城文哉の「白馬岳高山植物図譜」を持ち帰り、イギリス山岳会の展覧会に出品 1910 日光駅−清滝に路面電車開通 1922 フランス大使館別荘 1923 帝国ホテル・ライト館完成 これに先立つ頃、金谷ホテルの経営者・金谷真一の弟で、箱根富士屋ホテルの経営者・山口正造が、一時期、帝国ホテルの支配人を兼ねる 1925 ハンス・ハンター(1884-1947)、鱒釣りの社交クラブ「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」設立 1927 グラバーの別荘を取り壊し、「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」のクラブ・ハウスが作られる 1928 イタリア大使館別荘 ベルギー大使館別荘 1929 東武鉄道日光線開通 1930 華厳の滝を見るためのエレベータ完成 1932 馬返−明智平のケーブルカー開業 1933 ブルーノ・タウト、日光旅行 1934 井上房一郎とタウト、久米権九郎の紹介で銀座で会う5/24 1935 金谷ホテル、別館(24室)を建設。設計は久米権九郎。 同時にホテル前庭と本館の地下を掘り下げ、2階建てだった本館が3階建てになる。 1954 日光市制施行 1960 中禅寺温泉ロープウエイ開業 1965 第2いろは坂開通 1968 日光市内の路面電車廃止 1970 馬返−明智平のケーブルカー廃止 1976 日光宇都宮道路開通 1997 小杉放菴記念日光美術館が開館 2000 イタリア大使館別荘記念公園が開園 2003 中禅寺温泉ロープウエイ休止 ■関連書 日本 タウトの日記 ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 岩波書店 1975 日光避暑地物語 福田和美 平凡社 1996 森と湖の館 日光金谷ホテルの百二十年 常盤新平 潮出版社 1998 もうひとつの日光を歩く 隠れた史跡を訪ねて 日光ふるさとボランティア編 随想舎 1996 晃嶺の百花譜−五百城文哉の植物画 相模原市立博物館 2004 五百城文哉展図録 東京ステーションギャラリー 2005 |
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