京路戸峠から佐野市立吉澤記念美術館で若冲を見る/
ライシャワーとアントニン・レーモンドと松方家の人々



 3-3  ハル・松方・ライシャワーと松方三郎/日本山岳会


・ 松方正義の末子、松方三郎は欧州留学時にアルプスの山々に登り、ロンドンに暮らしてイギリス山岳会の伝統にふれ、帰国後、日本山岳会の発展に尽くした。
・ 日本山岳会  http://www.jac.or.jp/


松方三郎(1899-1973)は、松方正義の末子だが、妾キタの子で、京都の乳母に4歳まで預けられたあと、正義の長男・巌のもとに引き取られた。
6歳のとき、兄・幸次郎(正義の三男。24歳年上)の養子になり、松方ハルにとっては、叔父から従兄にかわった
巌の娘・竹子は黒木三次と結婚。三郎は黒木三次から音楽・美術・登山好きの影響を受けている。また、黒木三次の一高での師に内村鑑三がいるが、三郎も内村の無教会派の信者となっている。
(のちに黒木夫妻はモネと親しくなり、幸次郎をモネに紹介している。)

1924年に正義が亡くなり、数ヶ月後に留学。
大英博物館閲覧室でウィリアム・ブレイクの絵入り詩集を愛読したという。

この頃、アルプス登山に幾度も出かけ、槇有恒、浦松佐美太郎とも同行し、1926年、秩父宮殿下のマッターホルン登山に随伴もしている。

雪の世界の良さはその静けさにある。山ではことにそうだ。ふと小屋の戸を開けて真夜中の月の光に氷河やそれを取まく山々を見回したときなど、氷河時代にかえった地球の上にたった一人取残された人間のように感じることさえある。
 熱とか火とかを連想する何物もないような、氷と雪との支配するその世界にひとたび足を入れて、飽くまでに冷酷な、しかし、飽くまでに静かなその美しさを知ったあとで、この世界の引力を忘れ去ることはできない。
 あまりの美しさに胸を躍らせながら、しかも、とんでもないものを見てしまったと後悔したりするのである。おしなべて、山男などというのは、こうした頓馬なのである。
(アルプス記 松方三郎 平凡社ライブラリー 1997) 

山歩きでも、美術鑑賞でも、建築の経験でも、「とんでもないものを見てしまった」というのは、最高の感動といっていいのだと思う。ひととき心ひかれるくらいのものは少なくないが、「とんでもないものを見てしまった」という感覚を得られるのは、そう多くあるものではない。

1925年スイス山岳会会員。
1927年イギリス山岳会会員。
1928年に帰国後、60歳で共同通信社を退職するまでジャーナリストとして活躍した。
戦後、松方コレクションが散逸したのを集め、フランスから返還させる運動も推進した。

松方三郎の文書を読むのは楽しい。バランス感覚があり、狭い視野でものをみないし、いわない。

 横浜に上陸して銀座通りで夜店を奈し、汽車の窓から富士山を眺めて神戸から船に乗ったというような旅行者に、日本を語る資格のないことはいうまでもないが、同じようなことをやりながらアルプスを談ずる人は決して少くない。
(中略)
 いずれにしても、山を知るのに山だけにかじりついているのは、結局山を本当につかみそこなう原因とならないとはかぎらない。

(アルプス記 前掲)

山でも美術でも建築でも、それぞれ専門にする人の文章を見ると、自分の世界がとにかく絶対であると思いこんでいたり、知識をひけらかしていたりして、鼻につくことがある。
松方三郎の文章は、そういう嫌みなところがなく、安心して読んでいられる。
実生活でも、話す相手にとって会話が楽しく、判断を求めれば的確な反応がすぐにかえってきたという。

第3代日本山岳協会会長 
第5代日本山岳会会長 
1970年には、70歳で日本山岳会エベレスト登山隊隊長としてベースキャンプまで入った。このときが日本人初のエベレスト登頂で、松浦輝夫と植村直己が山頂に立った。

その3年後、1973年没。

私はいつもアルペンに過した自分の時間を思い出すたびに、この山間の谷深く小さく固まってできたツェルマットの村のことを思い出す。まるで眼をつぶっている自分の耳に暁を報らせる教会の鐘の音が響き渡って来るかのように。そしてあの爽やかな山羊の鈴の音がどこからともなく還って来て、私の心の戸を静かにたたくのを感じる。
(アルプス記 前掲)

生きていると、痛かったり、不安だったり、焦ったり、後悔したり、失言したり、みっともなかったり、思うようにいかなかったり、行きたいところにいつでも行けるだけの時間も金もないし、山に行こうと楽しみにしていた日に雨に降られることもあるし、つらいことがたくさんある。
でも、目を閉じたときに、そうしたいやなことを忘れて、しみじみと思い出せる記憶をもっていられることは幸福である。

山や美術館に行くことは、またそれ自体、朝早く起きなくてはならなかったり、途中に混雑があったり、道がわからなくなることもあるし、息は切れるし、汗はかくし、簡単なコースにしても生きて帰れるだけの食料や飲み物は用意しなくてはならないし、だから山歩きはストレス解消に役立つという意見もあるけれど、見方によっては、ふだんの生活をしていればなくてもすむストレスをわざわざしょいこんでいるようでもある。それでも、「とんでもないものを見てしまった」という感動や、目をとじたとき安らかに思い出せる経験に出会えるかもしれないと期待して、とりあえず今日はゆっくり寝ていようという誘惑にかろうじてたえてでかけることになる。
どちらがいいのかわからない。


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