高尾山から府中市美術館


5 [ 浅間山から府中市美術館 ]−あとの余談

芸術の森公園のすぐ東に浅間山(せんげんやま)がある。標高80メ−トルで、周囲との高低差は30メ−トル。周囲は平坦なのに、この山だけ高い。
前に立川に住んでいた頃、僕はよく多摩川の土手のサイクリングコースを自転車で走ったものだった。対岸に多摩丘陵の低い丘がずっと続いていた。
浅間山はその多摩丘陵と同じ土質で、地質学的に古い時代に、古多摩川がこちら側の土を削り流したのに、浅間山だけ孤立して残ったのだという。理由は謎。

3つの小さな山があって、ゆるやかに起伏する遊歩道がめぐっている。くぬぎやこならなどが手入れされながら見事な雑木林を作っていて、季節ごとに味わいがある。
この山だけに自生するムサシノキスゲが黄色い花を咲かせるのは5月中旬。木々には択伐ということをして、花の生育を助けているという。
最高峰!には浅間神社があって、ここからは府中市街や新宿の高層ビルが眺められる。

択伐で伐られた木々が積み重ねて2ある

浅間神社あたりからは、足下に多磨霊園が見えていて、橋を渡ると霊園に入っていく。
地図でみてもすぐ見つけだせる広大な面積を占め、桜の名所でもあり、世に知られた人がたくさん眠っている。岡本太郎の作品そのもののような墓や、梅原龍三郎河合玉堂岸田劉生など、芸術家の墓も数多い。

正門付近にあるみたま堂は、この付近では世田谷美術館を設計した内井昭蔵


妻の実家が暗闇祭 ( くらやみまつり ) で名高い大国魂神社 ( おおくにたまじんじゃ ) の参道のすぐ近くにあって、いつか子供を連れて行ったときに、妻の両親も一緒に、実家から浅間山を通り多磨霊園まで歩いたことがある。

妻の父は九州の南の島の人で、いつもどっしりと座って、口数は少ないが、行けば喜んで迎えてくれているのがわかる、大人(たいじん)という印象の人であった。
酒が好きで体がずいぶんいたんでいたのに、医者嫌いでじっと苦痛を耐えてしまって、定年退職後、まもなくに亡くなった。
孫(僕らの子)と外を歩いたのは、多磨霊園のときだけだった。自分からどこかへ行こうと言い出す人ではないが、未知のものを見て歩くのは好きなようだった。子供が小さいころ、僕たちは山歩きをはじめ、ずいぶんいろいろなところによく出かけたのだが、そのときにもっと一緒に行けばよかったという苦い後悔がある。
府中市美術館には今後も何度も行くことになりそうだけれど、そのたびに後悔を思い出して、ちょっと痛い思いをしそうな気がする。

黒井千次が書いた 「 たまらん坂 武蔵野短編集」 という小説集がある。(福武書店 1988 )
僕はかつて吉祥寺と立川に住んだことがあり、親しい友人がやはり中央線沿線に住んでいたこともあって、この小説にでてくる地名にほとんど心覚えがあって興味深かった。
せんげん山 」 という1編もあって、若い女性のマンションを訪ねて勘違いで失態をおかした定年退職間近の男が、浅間山に行くという話なのだが、そのマンションは小金井の前原の坂にあるということになっている。
( 前原坂からは、中村研一記念美術館に向かう 「 はけの道 」 が始まっている。)
結婚する前の妻と、たぶん小金井公会堂に井上陽水のコンサ−トにいった帰りだったと思うのだけれど、小金井駅からバスで府中に戻ったことがあった。前原坂を下り、小金井街道からそれていくと、車道の両側から花盛りの桜が両側から垂れてトンネルのようになっていた。ふだんは夜のバスからは暗い窓ガラスが見えるばかりだが、桜の白い花びらの大きな集合がヘッドライトに浮かんで夢の景色のようだった。聞いてきたばかりの井上陽水の歌にこんなのがあったような...
結婚する前の、楽しい、心弾む日々のなかでも、ピークの1つといっていい思い出なのに、本当にそんなことがあったのか、もうあやふやなくらい時間がたっている。

2001年府中の旅 」 と、だじゃれながら前向きのタイトルを思いついてこのコースを新世紀の第1回にしようと考えたのだけれど、中野から立川あたりまで、中央沿線にはいろいろな思い出が転がっていて、20世紀を懐古するようなことになってしまった。



/1 高尾山 /2 東京都高尾自然科学博物館 /3 府中市美術館 /4 中村研一記念美術館
/5 浅間山 から府中市美術館 /6 問い合わせTOP